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プロフィール

mariko

はじめに

はじめまして、まりこです。
ブログを見にきていただき、ありがとうございます。

私は皆さんの周りにごく普通にいる、子どもが2人いる保育士でした。
職場の人間関係も良好で、保育士としても責任ある立場にあり、忙しい日々だけど充実した毎日を過ごしていました。

そんな私は、あることがきっかけで在宅ワークへの道を進むことになります。

「安定した公立の正規保育士を捨てて、在宅ワーク?」

「そんなに恵まれた環境なのに、なぜ退職したの?」

このブログは、安定した公務員の収入を捨てて「家族と仕事」両方の時間を大切にする私のチャレンジ記録でもあります。

  • 1年後に在宅ワークで、扶養限度額の月8万円
  • 2年後に在宅ワークで、扶養を超えて月10万円

この目標を叶えようと思った経緯について、私の自己紹介を含めてお話ししたいと思います。

わたしの基本情報

・名前
まりこ

・生年月日
1980年8月

・実績
公立および私立の正規保育士として16年勤務し退職。
企業のインスタ投稿作成
公式ママリ執筆
子育て記事執筆および、商品監修


・趣味
ピクミンやマリオカートなどのゲーム

・家族
夫、男の子2人(高校生と保育園児)

わたしの生い立ち

わたし、先生になりたい!

東京都出身で、両親と妹の4人家族。

性格は「できないことはできるまでやり続ける」「気になることと気にならないことの差が激しい」といった負けず嫌いでおおざっぱな性格です。
この頃の夢は、幼稚園の先生かピアノの先生になることでした。

転勤族の子どもの悩み

小学4年生の夏、転校族であることを初めて知って、友だちとの辛い別れがありました。
この経験から「友だちと深く関わってもどうせ引っ越す」と悟った私は、人に心を開くのが怖くなり、浅い友だちづきあいしかできなくなってしまいました。

小・中学校を2校ずつ通ったので、東京と地方でできる経験や情報の差にも、この頃気づきました。

中学生だけでもディズニーランドに行くし、遊園地にも行く。
なんでも揃ってるし、テレビと変わらない景色がすぐそこに広がっている。

今のようにSNSが普及していない頃だったので、地方に行くと情報量の差は歴然でした。

中学生の頃にルーズソックスは終わってハイソックスの時代がきたのに、地方ではまだルーズソックスが熱い、とか。
(高校生で再びルーズソックスを買い直しました)

そして、2校ずつ転校を繰り返して気づいたことは「家族」のこと

  • 頼れるのは自分と家族しかいない。
  • 最後に自分の味方になってくれるのは家族だけ。
  • 家族を大事にしたい、家族との時間を大事にしたい。

家族基準で考えるきっかけは、この転校経験が大きいと思っています。

夢を追いかけた日、悩みに悩んで諦めた日

幼稚園の頃に考えていた「先生になりたい」という気持ちは変わらず、音楽大学に進学しました。

「音大生」というと、キラキラした生活を思い浮かべる人もいるかも知れませんが、そんなことは全くありません。
単位を落とすと即留年、という科目が多く練習に明け暮れる毎日。

「のだめカンタービレ」の漫画の世界そのものです。

大学時代の同級生とは仲が良く、教授にも「過去に例がないほど仲が良い学年!」と太鼓判をいただけるくらいに濃厚な毎日を送っていました。

仲が良すぎて、居酒屋の個室で歌を歌って「静かにして下さい!」と何度も注意されたことは、今でも集まると話にでてくるほどです。

そんな楽しい大学生活も終わりになり、自分の将来を真剣に考え始めました。
高校の教員を目指していましたが、音楽教員の採用は100人に1人という狭き門。

悩みに悩んだ末、一般就職を選び、社会人生活をスタートしました。

諦めきれない「先生」への夢を追いかけた半年間

社会人になると、仕事を覚えるのに必死の毎日でした。

しかし半年くらい経ったある日、「先生」の夢を手放しきれない私は、保育士資格取得へ挑戦することにしました。

国家試験を1発全科目合格するのは当時の合格率が10%程度。

何年もチャレンジするのは、気持ちが持たないかも知れないと思った私は、そこからは平日の仕事帰りと休日を利用してスタバで勉強し始めました。

模試で理解できないところを確認しつつ、半年間必死で勉強し続けた結果、全科目合格!
こんなところでも、負けず嫌いな性格が活かされたのでした。

念願の保育士!憧れの「担任の先生」へ

しばらく会社で働き続けましたが、結婚を機に引っ越しをしたため退職。

保育士資格を活かすべく、パート保育士になります。
しかし「担任になりたい」気持ちが消えず、正規保育士へチャレンジし合格をいただきました。

まりこ
まりこ

大手私立保育園で正規保育士として勤務開始しはじめ、仕事へ没頭する毎日を過ごしていました。

この頃は寝ても覚めても、担任している子どもたちのことばかり。

「この遊びは楽しいかな?」
「こうしてあげると、もっと成長させてあげられるかも」

研修にも積極的に参加し、スキルアップに喜びを感じていた時期でした。

思い通りにならない子育て。現実に直面して絶望。

全力で仕事をこなしていましたが、20代後半になると自分も子どもが欲しいと考え始めていました。

妊娠中も「マックのポテトを食べれば大丈夫」のつわりの時期を超え、産休を経て無事出産。

長男の誕生後は「離乳食は保育園でやってもらったほうが、断然ラク」なことを知っていたので、生後6ヶ月でフルタイム復帰予定にしていました。

まりこ
まりこ

だけど長男には重度の食物アレルギーがあることが発覚し、定期的な受診や検査が必要となったんです。

  • 卵、乳、小麦にアレルギーがある長男は、考えていた保育園には通園することが難しい。
  • 保活自体をやり直さないといけない。

子育てが思い通りにならないのはわかっていましたが、本当に先が見えない状態になったのです。

そこでフルタイムでのお仕事は難しいと考え、育休も延ばし、同じ職場でパート保育士に戻る決断をしました。

夫の転勤でフルタイムに戻るチャンス!どうする、私?

子ども優先で過ごしていたある日、夫の転勤先が偶然実家のある県になったのです。

転勤先でもパート保育士としてお仕事を始めていましたが、通院費などの経済的な不安をなくすため、フルタイムに戻るには今がチャンスだと思い、公務員へのチャレンジを決断しました。

再び独学で勉強をし、半年後には公務員試験に合格。
実家の協力も得ながら、フルタイムの正規保育士として再びバリバリと働き始めました。

忙しいながらも充実した日々の中、11年ぶりの次男の妊娠出産が私の運命を変えることになるとは、このとき思いもよりませんでした。

11年ぶりの出産で「おかえり」を言える日々に

11年ぶりの妊娠はつわりに苦しみ、3ヶ月の休職、復職を経ての出産。

担任をしていた子どもたちや保護者の皆さんが、大きくなるお腹を見て
「先生、産まれたら戻ってきてよ!」「がんばってね!」
とたくさん励ましてくれました。

まりこ
まりこ

保育士という仕事を選んで良かったな、と心から思いました!

3年間育休が取れる環境だったので「これが最後の出産」と思い、育休取得。
次男の育休中に、今までできなかった「おかえり」を言える生活ができたことが転機になりました。

思い返すと

  • 長男がアレルギーの発作を起こして救急車で運ばれたときに、すぐに駆けつけてあげられなかった
  • 小一のとき学校帰りに学童にこないと連絡があった。自分はどうしても探しに行けず、母に探しに行ってもらった
  • 子どもの行事と自分の仕事の繁忙期は重なりがち。担任をしていてシフト勤務だと、自分都合の休みはとりづらく、参加できないことも多かった

もしかすると、他にもたくさん長男に我慢させていたのかも知れません。
しかし自分の仕事、担任の子どもたちのことで頭がいっぱいで、自分の子どものことはほとんど覚えていないのです。

行事と仕事が重なり、参加できない時はいつも「ごめんね、行けなくて」と謝っていました。
そんな私に長男は決まって「いいよ、きても来なくてもどっちでも大丈夫」と返事をしてくれていました。

しかしそれが続くと申し訳ない気持ちになる。「もしかして来れないのはわかっているから、そう言っているだけかも?」と思うこともありました。

まりこ
まりこ

次男の育休中、長男は帰宅後に学校での出来事を話してくれることも多くなり、家族の会話が増えました!

そして誰かに遠慮して「すみません、お休みをいただきたいです」と言わなくても、行事に参加できる。他のお母さんたちとも、少しお話しする余裕もできたから、長男の学校の様子もよくわかるように。

子育てにしっかりと向き合えている実感がわいたのが、この頃でした。

退職後、子育て優先の働き方へ変わったきっかけ

今後のことを夫と相談。今まで働き続けていたので「少しゆっくりしてから考えたら?」と言われ、特に次の仕事を決めずに退職。
しかし、今までバリバリ働いていた私は、ゆっくり過ごすことが苦手。早々に次の仕事を考え始めました。


私が考えた「子どもを優先する働き方」の条件は

  • 仕事時間は子どもの学校時間のみ
  • 行事は出席したい
  • 保育士のパートよりも時給は高い
  • 土日祝日はお休み
  • 子どもの長期休暇や体調不良時にも融通が利く
  • 通勤時間は短め

この条件を全部満たしたパート先なんて存在するわけがないのですが、当時はネットで「新着求人」を確認することが日課でした。

長男の小学校卒業式も間近になった2020年、コロナ禍に突入しました。
最後の小学校生活を楽しんでいた長男は、緊急事態制限で登校することができず、自宅で過ごす生活を余儀なくされました。

今まで当たり前だったことができない日々。

情報収集のために利用していたInstagramでは、出産前後や育児のことを聞く場所がなくなり、不安でいっぱいのママたちがたくさんいました。

まりこ
まりこ

保育士だからこそ、なにか役に立てることがあるかも!

そう思った私は、見よう見まねでInstagramで子育て情報を発信することをスタートしました。
「保育園のクラスだよりのように、気軽に読んで欲しい」と思い、わかりやすくお伝えするように工夫をしていました。

Instagramで発信しつづけていたある日、企業より子育て記事執筆の依頼やイベントの司会などのお仕事依頼をいただけるようになりました。

まりこ
まりこ

あれ、こうやってお仕事をいただき続けたら、パートに行かなくてもいいんじゃない?

そう思った私は、依頼されたお仕事を一生懸命にこなしていました。
しかし、依頼をどんどん受けていた私はキャパオーバーになり、いつの間にか休日返上で働くように。

まりこ
まりこ

これが私の理想の働き方?
家族時間を大事にしたかったのに、家族の時間を削っているのは本末転倒じゃない?

そこから「どのくらいの時間をお仕事時間にできるのか」を考え、お仕事を引き受ける基準を決めました。

収入を上げることよりも、家族の時間を確保することを優先する!

この自分基準を守りながら、順調にお仕事をしていました。

収入も上げなきゃダメ?経済的な不安がよぎった出来事

こうやって自分基準を守りながらお仕事をしていましたが、長男が高校へ入学すると経済的な不安も感じ始めました。

まりこ
まりこ

高校生はとにかくお金がかかる!
塾の費用や生活費の増加に直面し、将来のために収入を増やす必要性を感じはじめました。

だけど、あまり家族との時間を削りたくはない。そんな私が次に掲げたお仕事基準は「扶養ギリギリの月8万円を安定的に稼ぐ」こと。

月8万円になれば

  • 長男の大学進学に向けて、選択肢を広げてあげられる
  • 次男の習い事や子どもの交友関係にも「いいよ」と言ってあげられる
  • 次男が低学年の間は扶養内で働き、その後のステップアップを視野に入れる

今よりも子どもの選択範囲を広げてあげられるのはもちろん、その後の収入のステップアップも視野に入れることを考えました。

このブログを通じて伝えたいこと

スクールに入会した私は、Webマーケティングを学び、その知識を活かして家族時間を優先して働きたいと感じている人たちへ、理想の未来を提案したいと思っています。

ブログのコンセプトと私の目標

このブログのコンセプトは

1年後に、月8万円を在宅ワークで稼げるようになる
~子どもに「おかえり」を言ってあげられる生活を目指して~

家事・育児・仕事のバランスをとりながら、子どもの成長に応じて働き方を変えていく!
私の理想の生活を目指す成長記録になります。

  • 1年後には月8万円を超える収入を得る
  • 2年後には月10万円を安定的に得る

この目標は達成できるのか?
理想の生活を送ることができるのか?

まりこ
まりこ

よかったら私の成長を定期的に見にきてもらえると嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

ABOUT ME
まりこ
まりこ
在宅ワークで月8万円を目指す主婦
夫、長男(高校生)、次男(保育園児)の4人家族|公立保育士を退職し在宅ワークへキャリアチェンジ|子どもに「おかえり」を言ってあげられる理想の働き方を目指す
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